久々の再会に話は尽きなく、仕事の話が中心になるはずが、ついついお互いの近況報告のようになってしまいました。
以前、熊手の夢のブログを書きましたが、夢は毎日見るほうで、目が覚めてからもその内容の一部を克明に覚えています。
夢の中で、それが夢であることを知っていることもありますが、そうでない夢の方が圧倒的に多く、この世を生きている自分(今の自分)として夢に登場することもあれば、金髪碧眼であったり、男性であったりすることもあります。過去、現在、未来(と思われる)建物が連なる通りを車で通りぬけたり、外国語を流暢に話していたり、空を飛んだり、水の流れに乗って、冷たさも洋服が水に浸された気持ち悪さも感じずそれはそれは気持ちよく下流へと流される夢もあります。死ぬ瞬間を体験したり、亡くなった叔父や飼っていた黒猫と再会を喜ぶこともあります。
夢を見ている時間は、私にとって、何の制限もなく望む体験をできる至福の時間です。
眠りに落ちる前に、目を閉じて、何もない真っ暗な空間を「視る」ようにしていると、見たこともない風景が次々を瞼の裏に出ては消えていきます。
音楽を伴うこともあります。
こうした僅かな時間ののちに訪れる眠りには、何か大きな不思議が隠されていると思えてなりません。
どうして、いつも同じ町にたどり着くのでしょうか。
どうして、見たこともない人が自分の姉だと一瞬のうちに見抜くのでしょうか。
どうして、何年も前に見たと思われる夢の続きを昨晩見たのでしょうか。
夢は夢として、不思議なままで現実との境目に置いておき、時折思い出して楽しむのも良いかもしれません。でもそこに自分でも気づかない「深層心理」が隠されているとしたら、のぞき見てみたいとも思います。
来年は、大高ゆうこさんがドリームワークを再開する予定だそうです。
夢に興味がある方は、来年を楽しみにお待ちください。

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考えてみれば、ボディーワーカーっすもんね。。
亡くなった祖父といろいろ話したり
できないはずの英語の曲を歌ったりしてます(堂々と!)
「夢と希望」とかよく言いますが、大人になって「夢と希望」より「期待」ばかりが膨らんでいます。。。
「これは夢だから」と思いつつ、普段できないようなことをしてみたりします。
お亡くなりになったおじいさまとお話できるのは羨ましいなあ。
亡くなった方が夢に出てくるときは、たいていまだ存命というセッティングなので。
夢の共有ができたらいいですね、そしたら英語で堂々と歌うCarolfingさんを見られるのに!