理学療法や作業療法、各種手徒技法においても、治療の根拠が求められているようです。
『これがボディワークだ』の書評に「エビデンスに欠ける」という一文がありました。
ご購読していただけたこと、書評をいただけたことに感謝を申し上げると共に、ボディワークについての理解を深めたいと思いました。
そもそもボディワークは「主体が主観的に感じたこと」を拠り所(根拠)とします。
そこにはクライアントのその日の気分やワーカーとの関係性、セッションに対する意気込みなどの心理的作用や天気、時間などの環境的作用などが必然的に含まれます。
ボディワークが対象とするのは「肉体を持った人間」であり、「症状」「病理」ではありません。
症状や病理ですらその日によりその重度が微妙に変わるのですから、対象が心を持つ人間であればなおさらです。
この時点で、すでに人間を対象群、統制群とした臨床研究は難しくなります。
(カウンセリングや薬物投与を行わない心理療法も同様に人間を扱います)
ただし、筋膜を扱うボディワークには全く科学的根拠を持たないわけではありません。
筋膜の生理学に関する学術書や文献は数多くあり、手徒によるその変化についても立証されています。
ところがその変化の仕方が一定の法則に従わなく、数値で表せないのであれば、「科学的とは言えない」と科学の世界からは切り捨てられてしまいます。
だからといってボディワークは何も起こさないとは言い切れません。
人間の持つ器官を対象として、身体的にも心理的にも(認知的にも)変化をもたらします。
ボディワークで体調が良くなった、気持ちが前向きになった、パフォーマンスが伸びた、慢性的疾患が劇的に改善されたという変化は事実として起こります。
また、その技法も手技のみに頼らず人間の持つ感覚、知覚、会話と複数を活用します。
科学的根拠を持つ手順がないため、ワーカーはいつでもクライアント側の変化に注意を払いそれに気づき、対応していく力量と技術が必要です。
セッションの間は途切れることなく(通常は1時間半)、ワーカーの集中力はクライアントに向けられています。
医学寄りの分野でも、患者を「症状」ではなく「一個人」と観る流派もあるそうです。
患者の「主体性」が見逃せないことに気づき、「現象学的記述」を積極的に取り入れようという動きがあるようですが、主体的で変化を追うような記述は科学的根拠と相容れません。
治療の目的が症状の改善または緩和なのか、クライアントのQOLを高めることなのか。
先の書評をくださった方がどちらを望んでいらっしゃるかは不明ですが、まずは治療者(ワーカー)がはっきりとしたビジョンを持つ必要がありそうです。

読んでいてもス〜っと入ってくる感じですね!
(おそらくワークでも同じように
クライアントさんは心地良い感じで
受け取られているのだと
想像できます)
“ワーカーはいつでもクライアント側の変化に注意を払いそれに気づき、対応していく力量と技術が必要です。”
“セッションの間は途切れることなく(通常は1時間半)、ワーカーの集中力はクライアントに向けられています。”
というところは
とても共感できる部分ですね
長期にわたって
ゆっくりと時間をかけて
施術者を育てようと
日々努力されていることは
とても素晴らしいと思っております
足元を固めながら手探りで進んでいる最中に、信頼している方からの励ましの言葉は本当に嬉しくありがたく、何よりの原動力です!
これからも、優しくでも時には厳しく(笑)ご意見お聞かせくださいね<(_ _)>