演じるとは、実際どういった行為を行うことなのであろうか。
雑誌のインタビューで、若手の俳優が「役に入り込むのに苦労しました」とか「主人公の気持ちになりきって考えてみました」などと語るのを目にすることが多いため、身体論ワークショップに参加するまでは、演じるとは考え創りこむことだと思い込んでいた。だが、それは大きな間違いであった。
演じるとは「考える」という文学的なことより、むしろ「感応して対応する」身体的なことであるように思う。
さて、人をして演劇に向かわせる理由とはなんであろうか。
『役者の背中』で太田省吾は「抑圧」が人をして芸術へと向かわせることを示唆している。
「抑圧は現実生活において具体的、個的体験を通して肉体をきしませるものである」1
われわれが住む現実世界は、社会という仕組みが滞りなく機能していくために便利な、規則や規制によって統制されている。
そこでは、目的達成に関連しない身体(個体)の違い、感受性の強さ、個人が持つ価値観や指向性・嗜好性は重視されることがない。
それは、誤差として考えられることすらない。
われわれは、疲れていても決まった時間に起床し、始業時間に間に合わせるために乗り遅れてはいけない電車に飛び乗り、乗り換えに便利な「いつもの」車両で身を縮ませ浅い呼吸を繰り返し、空腹を感じずとも昼休みは昼飯を食べる。
そして前夜を繰り返すように就寝に着くのである。
こうした時間的、空間的統制が私たちの肉体をきしませていくことになるのだが、この統制にわずかながらでも疑問を持つことができるのならば、それが抗おうとする原動力になり得るのである。そして、その抵抗が私たちを芸術へ―ある者は文学へ、ある者は絵画へ、ある者は踊りへ、ある者は音楽へ、そしてあるものは演劇へと向かわせるのである。
太田は『役者の背中』で演劇の必然的経路とよべるものがあるなら、それは彼の抑圧の感受の仕方が「より身体的、現実的であったことを意味していると考えられる」2とも評している。
自らを介して、つまりは肉を介して何かをつかむこと。
太田は、「劇はまずはじめに人間の不健全さをたどる方法である」3というが、肉体を離れたところで作り上げられたものの持つ不健全さの強度と、肉体を通じて体験される不健全さの強度を想像してみれば、全身を通じて沸き起こるファンタジーを表現する演劇に軍配があがると考えても良いのではないだろうか。
太田省吾は、1968年に「転形劇場」旗揚げに参加した後、1970年より劇団の主宰者となる。
『水の駅』など無言劇と呼ばれる独特のジャンルを生み出した。『水の駅』、『地の駅』、『風の駅』で沈黙劇三部作と称される。4
1981年に日本で初演を果たし、その後ヨーロッパで高く評価され、やがてその評価は日本に波及した。
「水の駅」で、人々は、静かに身体を動かし歩く。
身体論ワークショップでは、水の駅で行われるような「歩くと止まるの中間の速さ」で歩く試みを行う。
試みを行うと表現したのは、これは演習とはいえるが練習ではないからである。
練習はある一定の基準を目指してそこに向かって物事を行うことであるが、この「歩き」には目標はない。井上教授は「目的を持たない、ただ歩く時間を持ってほしい」という。
あわただしく生きる私たちにとって、歩くとは目的地にたどり着くことであったり、体型維持のためのエクササイズであったり、ストレス解消の手段であったりする。
だが、ワークショップで行う歩きとは、そうしたこととは全く異なる質を持った、連続する、目的を持たないひとつの行為なのである。
動くと止まるの間にいるような速度で歩くのは容易ではない。
身体がぐらつき、こわばって、緊張が全身を包む。
こうして歩きながら、わたしたちは自分を観察する。
思考を観察するのではない、わたしたちを歩かせることそのものを観察するのである。
考える葦からヒトとしての本来の姿へと立ち戻っていく行為とでも言い換えることができるだろうか。
この瞬間「考える」ことは愚行となる。
ゆっくりとぶれずに歩くひとの姿は美しい。他者の動きがもたらす心の平穏は、それは心地の良いものだ。何度か経験した能観賞は、そのときは退屈極まりないものであった。
だが自分が歩くことを体験してみると、歩きがもたらす心の平穏と、悠久とも思える時間の流れに気づくのである。
こうした動きを、水の駅の役者であった鈴木理江子氏は「基本のテンポを手にするには、ゆっくり歩きながら、無理なく呼吸ができなくてはならない。無理なく、とは、身体で無理を受け入れることである」と『映像と身体』で綴っている。
逆説的ながら、含蓄のある言葉だと思う。
「抵抗と拮抗しながら生まれるテンションある調和。基本のテンポが、この調和した身体の在りように支えられるとすれば、舞台上で生まれる心の動きは、この調和を乱す」と続けられている。
ヒトであるわたしたちは、この「抵抗と拮抗しながら生まれるテンションある調和」を、そうとは気づかず生まれながらにして求めているのだろう。
ヒトは「重力との調和から生まれる無理のないからだ」を望む、と言いつづけるのはあまりにお座なりで井の中の蛙的である。
むしろ、重力との調和などを放り出したところに見つける、抵抗を受け入れ拮抗する力強さこそ、現代が必要とするものだろう。それは、土地に根付き自然の力に翻弄されながらもそれを受容してきた日本人が古くから守ってきた、謙虚という考えにもつながるものなのかもしれない。
やがてわたしたちは、ゆっくりと歩く行為から「感じる」行為へと移っていくのであるが、わたしたちに役作りは課せられない。
井上教授からは「音楽が始まったときに、目の前に何かを見てほしい」と、歩くことの先にある「ファンタジー」の追及を促される。
演技とは、考えて役を作ることではないのである。
まずは、目の前に、実際に私たちが「感じる」ことができる世界、ファンタジーが広がらなくては始まらないのである。目の前に繰り広げられる世界がリアルであるか想像であるかどうかは、さほど重要ではない。
私たちの歩みが、呼吸が、視線が、身体に緊張が起こることが、演じることの起点となるのである。
広がる黄金のすすきの海原を目の前にした自分と、広大で冷たく黒い岩山に圧倒されている自分を、身体が(私が、ではない)表現するのを待つのである。
そこに私=エゴはない。あるのはただ沸き起こる畏怖の念や懐かしさや心地よさといった、本来わたしたちが持っている素朴で犯しがたい原始的な情感とそれに伴う動作やしぐさである。
ファンタジーの世界を体験することを通じて、わたしたちは、見逃していた自分と再び対峙するのである。
太田省吾が仲間の劇団員の背中から何かを感じ取ることができたように、人は状況の中で無意識に佇まいを変える。
その無意識こそが、演技の源なのではないだろうか。
役者とは無意識を、身体を通じて表現する人たちのことを言うのではないか、とワークショップを通じてそんなことを考えた。
参考文献
1. 太田 省吾「役者の背中」P70 『飛翔と懸垂』より
2. 同P71
3. 同P65
4.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E7%9C%81%E5%90%BE
(2010年1月5日抜粋)
2010年提出のレポートより抜粋
文中の井上教授は立教大学映像身体学科の井上弘久教授。
