科学と科学以外の物を区別することを命題とし、それを「境界設定問題」としたカール・R・ポパーの説に従うのならば、ボディワークは「疑似科学」に分類されるだろう。
反復が不可能であるものは科学の枠から取り外されてしまうからである。
研究対象を身体とする場合、反証可能性の証明は非常に困難である。
生理学としての身体であれば、運動の反復と血中の尿素や乳酸などから疲労の度合いを計算することができるだろう。だが、これは身体に関わっての「生理学」研究であり、本論で問題とする身体そのものの研究とも、身体運動の研究とも異なる。
同じ人間に一定の条件下で反復運動を行わせるような単純な研究であっても、その日の体調やモチベーションなどで出てくる結果は違う。
もっとも困難な計測は、体感である。
個人個人が同様に内的感覚を経験しているかは測定不可能であり、昨日の動作が今日の動作と同様であったかどうかはまた計測不可能である。
運動するその身体が違いを経験するのである※。
パフォーマンスやスコア、秒数としてそれが現れる事もあるが、それは純粋な結果ではなく、なんらかの要素が加わった結果かも知れない。
しかしながらポパーはそうした似非科学を否定しなかった。
カルナップをはじめとする理論実証主義のドイツ学派は「命題の意味は、その検証の方法である」とする意味の検証原理を採用したが、ポパーはこれに反し、疑似科学の言明も理解可能であるとした。
ポパーが疑似科学としたフロイトの精神分析のように、命題の意味がその検証方法とはならないような療法は存在し、治療効果も実証されている。
ボディワークも同様に命題がそのまま検証法とはならない。ただし、ボディワークは命題それ自体の見直しが必要とされているのだが、それは章を別にして論じたいと思う。
『身体表現者のための身体内感援用法』より
※観察者は「体験」しない。
2月26日(日)オープンパス認定ボディワーカー養成トレーニングのデモンストレーションを行います。詳細はこちらで。