その時は、この言葉の重みが理解できず「ありがとうございます」と形式的に答えました。
ある時は、いくつも年上の人に「祈ってるからね、頑張ってね」と言われました。
その時は「祈るくらいなら誰にだってできるじゃない」と、少し寂しく、拗ねた気持ちになりました。
自分が先達と同じような年齢や立場になり、こうした言葉がいかにありがたかったかがよくわかるようになりました。
特に、神仏にお参りするときに「祈ってるからね」という年上の女性の言葉がいつも頭に浮かびます。
その言葉がその場限りでなく、こころからの言葉であったら、なんと尊い気持ちだったか。
親兄弟など身内が幸せであるように祈る、これは全く珍しいことではありません。
でも、血縁でもない赤の他人の幸せを願う、これは相手を大切に思わなければ絶対にできない行為です。
そう考えると、自分の知らないところで誰かが自分の幸せを願ってくれる、こんなにもったいなことはないなと今ならばしみじみと思えます。
それは、特定のご利益があるという神社にわざわざ参拝し、そこで自分以外の幸せを願うということを始めたからこそ分かったことです。
相手の立場に立つまでは感謝の気持ちすら浮かびませんでした。
運がいいとか悪いとか言いますが、味方をしているのは神様だけではないと思います。
むしろ知らないところで幸運を願ってくれる誰かの念のほうが、より直接的に幸運をもたらしてくれるように思うのです。
果たして誰かがわたしの幸せを願ってくれているのかなと考えました。
密かに誰かに応援されたいものだと思いましたが、そうなるためには何が必要なのかが分かりませんでした。
世の中にはひとりかふたり、奇特な人がいて、祈ってくださっているのかもしれません。

*******************
*斎藤個人セッションのお申込み、新宿オフィスアクセスのご案内*
ご希望のセッションと、ご希望日を第三希望までお知らせください。
申し込みフォーム https://www.rolfingopenpath.com/contact-10
斎藤みず穂公式サイト https://www.rolfingopenpath.com/
********************

