無理なダイエット(断糖高脂質)をしてみたり、少し緩めのケトジェニックダイエットをしたり。
今は基本的に、一日一食(夜のみ)としていますが、これが自分には一番合っているような気がします。
食事に気を付けるのは、食物アレルギーがあったり、不耐性があったりするのもひとつの理由です。
先日のブログで少し触れましたが、花粉症があったり、アリシン不耐性があったりと、何かと面倒です。
先日、友人が主宰する料理教室に参加しました。
その日のお題は「基本の重ね煮」、食物の陰陽を意識した重ね方で、水を使わずに野菜を蒸すという調理法です。
重ね煮のパワーを感じましょう、と主宰者にOリングテストを提案されました。
わたし「ふーん、Oリングテストね…」
某キネシオロジーセラピーのトレーニングを終了し、まがいなりにも資格も取りましたが、だからこそOリングテストには懐疑的でした。
Oリングを作る指や腕の力が、予定調和的に強くなったり弱くなったりすることをトレーニング中に目の当たりにしてきたので、あまり当てにならないと思って臨みました。
「わたしは玉ねぎはホントはダメなので、玉ねぎあり、なしでテストしてみて」と、玉ねぎのあるなしでテストすることになりました。
この時点でも、もちろん半信半疑です。
後ろ側に回した両手を組み、組んだ手の力の入り具合で確かめるという方法で、重ね煮パワーを確認しました。
玉ねぎなしでチャレンジ。
組んだ手に誰かの拳がはいり、床方向に向かって押されますが、力がしっかり入り指は解けません。
玉ねぎ入りで再度チャレンジ。
えっ???
嘘でしょ?
スカッと、力が抜けたではありませんか!
疑いの気持ちたっぷりで、結果がでることは全く期待していなかったのに、みごとに力が抜けました。
Oリングも重ね煮もすごいですね、やっぱり玉ねぎダメだったねという話ではありません。
「期待しないこと」がいかに大切なのか、そういう話にこのブログは進みます。
某団体のキネシオロジーセッションを実践しないのは、この「期待」に疑問を持ったからなのです。
効果を知ること、期待を持つことがバイアスになり効果のようなものが出ているのではないか、その効果は一過性のものではないのか、筋反射は十分な信頼に値するのか。
疑問は解けず、そのセラピーからは遠ざかってしまいました。
太古の昔において、神事の中心となるのは幼い子供であったり、知的な部分より感性に秀でた人物だったりしたというのは「我」がない、期待がなく、只在ることが出来る存在だったからではないのでしょうか。
治癒を目的とするセラピーであるなら「期待を持つこと、持たせること」は大きな威力を発揮するし、治癒に限らず、ものごとは期待(そうなるという前提、約束事)ありきで成り立つものだと思います。
でも、自分にとっての真実を見つけたいとか、無意識を探求したいという時には、自分を「期待を持たないただの器」として存在させるべきなのかなと、そんなことを考えました。

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