日本におけるアドラー心理学の第一人者であった野田俊作先生が鬼籍に入られました。
知らせを受け、文字通り息を呑みました。
野田先生のブログの更新が途絶えてからしばらく経ち、講座の再開を待ちわびていたのですが、もう二度と先生の講座が開かれることはありません。
アドラー心理学が日本で大流行りし、「勇気」が青い表紙に挟まれて流通し、ドイツに生まれたアドラー心理学はなぜかギリシャ的な解釈に包まれてしまいましたが、野田先生はアドレリアンとして生きていた人でしたから、それについて公で声高に言う事はしませんでした。
それどころか「あの人はずいぶんと苦労し、貧乏してきたから、今ああして楽になられてよかった」と喜ばれました。
私はそれを聞いて、相手に対して無償に腹が立ったのを今でも覚えています。
彼の人の言葉の多くは野田先生に由るものでしたから。
西日暮里のマンションに集まり野田先生の講義を聞いたこと、脇にはOSHOの絵が飾ってあったこと。
教えを乞う受講生の靴が玄関の外にまで並んでいたこと。
公開カウンセリングの場で、先生はいつも笑って「なんでそれがだめなのよ?」と相手に考えさせたこと。
いろいろと思い出す事ばかりです。
以前に書いたブログを読み返しました。
野田先生の哲学的でありつつも暖かい講義や、受講生から寄せられた質問を「こんなものは質問じゃない」と切り捨てる厳しさ、休憩時間には仲間とお菓子を食べながら関西弁で「可愛いオネエチャン」の話をしていたことなど、いくつもの場面が思い浮かびます。
わたしたち受講生は講義の合間に配られた用紙にいろいろな質問を書き、机に残し、野田先生からの言葉を待ちました。
時に優しく、時に取り付く島もなく、次から次へと答えてくれた野田先生。
アドラーの伝えんとした神髄を懸命に受け渡してくれていたのだと思います。
しばらくは寂しくて仕方がないと思います。
自分が導く立場となってもおかしくはない年令に到達しているのに、未だに師の不在に不安を感じます。
お会いできなくても野田先生の存在は大きく、感情的になりがちな自分を制してくれていたのだと今更ながら深く感じます。
しばらく仕事を休んで、何もかも放り投げて、空でも見ていたい気持ちです。
私は共同体のために何ができているのだろうか?
野田俊作先生のブログ
http://www.jalsha.cside8.com/diary/WhoAmI.html
過去ブログ(アドラー心理学関係)
http://rolflingopenpath.sblo.jp/category/4216312-1.html
https://plaza.rakuten.co.jp/rolfing/diary/?ctgy=6
धन्यवाद jalsha ma bohdy sarani
2020年12月09日
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