2016年11月11日

散歩−眼球運動―の勧め

昨日から、お化粧をして仕事をするようになりました。
湿疹のポツポツは目立ちますが、それ以外は不自由なく過ごしています。

先日、久しぶりに自宅から吉祥寺まで歩きました。
速足であるいて、少し遠回りをしつつで1時間ほどでしょうか。

散歩をすると気持ちがすっきりしますが、意識変容も起きるようで、いわゆる「トリップ状態」になります。意識ははっきりしているんだけれど知的活動の脳がストップする感じと言えばいいでしょうか。

こうなるのは、いつもよりずっと視覚を使うからではないでしょうか。
電車、自転車、自動車と移動の手段に合わせて私たちの視覚は働きますが、そうした状況では身体が動くリズムより早く、乗り物に合わせた速度で眼球運動が行われるので、場面の把握はできても「事物を見る」とか「観察する」ことが出来ていないのだと思います。

歩きながら風景を見ると、イメージで思い描く風景よりも実際の風景は大きく、深みがあることに気づきます。
川沿いに茂る草木の緑もさまざまで、笹の青々とした緑があれば、紅葉に備えて紫がかった緑があれば、枯れかけて灰色が強い緑もあるし、冬を目前にしていながらも春の芽吹きのような黄色を含んだ緑もあります。
色に合わせて目玉が出たり引っ込んだりするような気がします。
また同じ色を持つひとつの植物でも、陰影により重なり具合が違い、それを見るたびに平面が立体化されていきます。
マンションや大木など、遠くのものが近くに来るに伴いその大きさが身体を圧迫するように迫り、見上げながら通り過ぎる時には物質の大きさと見上げる私の動作が対応し、動作を介して物体の大きさを実感します。
乗り物で移動している間には、こうした「身体を通して風景を感じる」時間をゆっくりと取ることができませんでした。

歩きながらも、動いている自分の体に注意を払い、また周りの景色の様相や移り変わりを観察する。
覚醒しているときや、注意をはらっているときに感覚が鋭敏になることは良く知られているけれど、散歩はそうした機会を作るのに最適だと思います。
小一時間もあるけば、室内での反復運動や瞑想とはまた違った爽快感を得られること間違いなしです。
紙での脳トレに人気があるようですが、外部からの刺激なしには脳に「認識」が生まれずトレーニングになることはないので「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」に刺激が与えられる工夫が必要です。
お時間を見つけて、こうした刺激が豊富な場所を探して散歩をしてみてください。

kanda.jpg

posted by MSaito at 01:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々のこと
この記事へのコメント
目的地に着くことよりも

そこまでの道のりを味わうのは

“からだ”にはとても良いことだと思います。


“道草”は子供のときから好きで

30分ぐらいで帰れる道を

2時間ぐらいあちこち寄って帰ってました(笑)
Posted by Carolfing at 2016年11月13日 08:55
Carolfingさん、コメントありがとうございます!

道草、楽しかったですね!
私もまっすぐに家に帰ることは少なかった気がします。

子どものころ、通学路は宝の宝庫でした。
石ころひとつでも素晴らしいみつけものの感じがして、
大切に持ち帰ったのを覚えています。

たまには子ども心を取り戻すのも楽しそうですね(*´∀`*)ノ。+゚ *。
Posted by 瑞穂 at 2016年11月14日 00:00
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