2016年10月21日

ツァラトゥストラ、肉体があっての魂

ある本を探していたら、読みかけでやめていたニーチェの『ツァラトゥストラ』が見つかりました。
その中の「からだ(からだにヽ)を軽蔑する人について」という章があることに気づきました。
ぺらりぺらりとめくってみると、アンチキリスト的な考えが見え隠れします。

例えば「向こうの世界を説くものについて」という章では
…だが連中は、自分のからだ(からだにヽ)が病的だと感じている。できることなら逃げ出したい。だから、死を説く説教師の話に耳を傾け、自分でも向こうの世界を説くのだ…連中よりも誠実に、連中よりも純粋にしゃべるのが、健康なからだなのだ。完全で、実直なからだなのだ。そういうからだが、この地上についての意味についてしゃべるのだ…
という文章で、肉体を穢れたもので、肉体が存在しなければ欲望も存在しないと説いたキリスト教批判が読み取れます。

そして、「からだを軽蔑する人について」の章では
…「ぼく、カラダだ。そしてココロだよ」−と子どもは言う。どうして俺たちは、子供のように言ってはいけないのか?
だが、目覚めた者、もののわかった者は、こう言う。どこから見ても私はからだなんです。からだ以外の何ものでもない。魂なんて、からだの付属物の代名詞にすぎません。…
と、ここでは心身二元論を覆すような発言をしています。

…「私は」と、君は言って、その言葉を自慢に思う。「私」はより大きなものを、君は信じようとしないが−「私は」より大きなものが、君のからだであり、その大きな理性なのだ。大きな理性は、「私は」とは言わず、「私は」を実行する…
私=エゴこそが最大のものだと信じるが、エゴを超えるものがからだであり、エゴを超えた理性なのだ、とカントは言います。
これを読むとライヒ派(エゴを扱う)ボディワーク、平たく言うとサイコボディセラピーなどとニーチェに言おうものなら一喝されてしまうことになりますね。
良かった、ボディワークで(安堵)。一喝されるのも面白そうですが。

しばらくほったらかしにしてあった本を見つけて手に取ると、今読んだからこそ面白いと思えたんだなと思うことがよくあります。
本はひとりの人間から生み出された物質だと考えると、紙を媒体とした「出会い」だなとつくづく思います。
だからこそ著者に実際に会えた時は嬉しいのですね。

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この本はカント哲学(カントはキリスト教徒でした)への批判書でもあるという解説もありましたが、思想的なところに踏み込むには浅読みすぎだし、完読する前に途中で投げ出しているので詳しい解説はwikiにお任せします。

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posted by MSaito at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | お仕事全般
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